岩殿寺・火渡り護摩供養(築北村)
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- 2018年3月25日
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更新日:2018年4月15日
2018年3月25日(日)
岩殿寺 (長野県筑北村)
◆ 大火生三昧火渡り護摩供養
古代においては天台系修験の中心寺院であったこと、春の富蔵祭には、護摩講がおこなわれていることから昔は火渡りが行われていたと推考されます。
太鼓が鳴り響き、導師により火が付けられ大導師が願いを書いた護摩木を投げ込み焚きます。
火が収まると塩を撒き清め大導師、導師がお渡りになり、その後参拝者が大願成就を祈願して続きます。
○ 岩殿寺 (長野県筑北村)
岩殿寺(がんでんじ)は長野県東筑摩郡筑北村(旧坂北村)にある天台宗の寺院。
山号は富蔵山(とくらさん)。本尊は馬頭観音。信濃三十三観音霊場15番札所。
境内に大小75社、12坊、4支院を有する大寺であったとされるが、度重なる火災により衰退した。
往時を偲ばせるものとしては重要文化財の懸仏(かけぼとけ)と大日如来像、長野県宝の三所権現神像(3躯)などがわずかに残されている。
歴史
伝承によれば、嘉祥元年(848年) 円仁が仁明天皇の命で一向大乗寺として創建。
岩殿山を修験道の霊場として三所権現を祀り、十一面観音、深沙大王を本尊としたという。
室町時代末期 武田信玄の帰依を受け、寺紋を武田菱とした。
江戸時代には服部・石川両氏の入部にあたり、寺領を悉く横領されるが、水野忠直よりの黒印30石により維持される。
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%AE%BF%E5%AF%BA_(%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E7%AD%91%E5%8C%97%E6%9D%91)
https://goo.gl/9U4wLm
岩殿寺(筑北村おでかけガイド)
http://chikuhoku.jp/gandenji/



○修験道
修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教である。修験宗ともいう。修験道の実践者を修験者または山伏という。

○ 岩殿寺・火渡り護摩供養
・大導師、導師入場
ほら貝を鳴らしながら岩殿寺本堂を出て、護摩壇が用意された西側の空き地に向かいます。

・湯加持
煮えたぎった釜の熱湯に束ねた熊笹を入れて振り回す荒行。その後、参拝者は無病息災を願って熊笹の葉で湯をすくって飲みます。

・法弓の儀
護摩壇の四方から空に向かって法弓を射ます。

・法斧の儀

・宝剣の儀

・護摩壇点火
修験道で野外において修される伝統的な護摩法要。
護摩壇に火を点じ、火中に供物を投じ、ついで護摩木を投じて祈願する外護摩。願いが書かれた護摩木を大導師ろ導師が投げ込み焚きます。
炎の勢いが増すと、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、烏枢沙摩明王(以上、五大明王)など色々な仏が姿を現し、炎と共に煩悩を焼き尽くします。


・火渡り(火生三昧耶法)
火渡りは、正式には火生三昧耶法(かしょうさんまやほう)といいます。
火生三昧(かしょうざんまい)は心を静めて一つの事に集中し、身体から智慧の火を生じるような状態をいいます。密教では、お不動様と一体となった状態をいいます。智慧の火によって煩悩ぼんのうを焼き尽くすことを象徴します。
護摩壇の火が収まると塩を撒き清め、大導師、導師(修験者)が、まず印を結んで自分自身を清めます。その後、ご真言などを唱え、いくつかの段階を経て、お不動様と一体となった事を観じます。
いくつかの段階には、水天や八大竜王など水に縁のある神様に祈る部分もありますが、最終的には「火をもって火を制す」のように、自分が火となり、火を支配し得る存在となってから火渡りが行われます。
火が収まると清めの塩をが撒かれ、大導師、導師(修験者)に続いて一般の信者も火渡りを行います。一般信者は、ご真言程度のみ唱えながら渡り、天下泰平、所願成就を祈ります。


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