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北国西脇往還
(北国西街道・善光寺街道)
街道・宿場
北国西脇往還(北国西街道・善光寺街道)は信濃国に存在した脇往還で、長野県のほぼ中央部を南北に19里20町(約80キロ)、12の宿場と3つの峠で結ばれた、古くからの庶民の道・信仰の道です。
洗馬で中山道と分かれた後、松本城下を経て山間地に入り、街道最大の難所である猿ヶ馬場峠を超えて善光寺平の南端(稲荷山宿・桑原宿)に至り、丹波島で北国街道に合流します。中山道と北国街道を連絡し、松本藩や松代藩、善光寺へ向かう道のひとつとして整備され、当時は賑わいを呈しました。
「善光寺道名所図会」があり、松尾芭蕉の「更科紀行」はこの道の紀行文です。この Web は、北国西脇往還の宿場町を中心に、写真により往時の様子を偲ぶとともに、現在の様子を伝えます。
会田宿(松本市)
刈谷原宿から北へ約1里10町にあり、御厨神明宮や会田氏の居館もあり、古来からこの地方の中心地でした。宿泊施設として本陣・脇本陣があり、旅籠も数多くありました。
明治35年篠ノ井線の開通とともに昔の面影をなくしましたが、その町並みになお宿場時代の名残をとどめています。
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![]() 本陣跡 旧横内氏の屋敷(東西約35m、奥行約38m)に宿場の本陣が置かれた。 宿場の盛時は、旅籠12軒、その他小宿7軒、総戸数94戸があって、往来する旅人で賑わった。 | ![]() | ![]() |
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