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岡田宿(松本市)

岡田宿(長野県松本市)は慶長9(1604)に善光寺西街道(北国西街道)が開削された際、又は正保4年(1647)に周辺の集落を集めて成立した宿場町です。
岡田宿は松本城下に通じ、善光寺西街道(北国西街道)と保福寺通(松本城下と上田城下を結ぶ街道)との分岐点でもあり享保11年(1726)に松本藩の領域が変更され天領との藩境になった事から岡田口番所が設けられ重要視されました。
本陣(兼問屋)や脇本陣が設けられる一方で浅間温泉が近かった事から旅籠は10軒前後と比較的に少ない事が特徴の1つです。

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通称「追分」交差点。ここから北方面(四賀・青木)に登った旧道沿いが岡田宿。

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松本市美須々交差点(国道143号線)から北に20~30メートル上がると、旧道が右手に延びている。

003_旧道沿いの道祖神
004_旧道沿いの道祖神
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道は北に向けた一方通行。 ゆるやかな坂道。

岡田小学校

○ 岡田小学校 明治22年 岡田尋常小学校として統合設置 平成元年 100周年記念式典並びに祝賀会、100周年誌刊行 児童・生徒数:398名(平成27年4月1日現在)

岡田神社・一の大鳥居と旧善光寺街道

参道が拝殿の前から東に350mほど続いており、旧善光寺街道と直角に交わっています。ここには一の大鳥居があります。

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名称:岡田神社旧参道のケヤキ 指定等区分:市特別天然記念物 指定年月日:昭和62年4月14日

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大鳥居とともに神社の存在感を示す このケヤキは、岡田神社旧参道にあります。岡田神社は、平安時代に制定された『延喜式』(えんぎしき)に筑摩(つかま)郡三座の一つとして記載がある式内社で、古い由緒ある神社です。明治時代には産土神(うぶすながみ)を祀(まつ)る神社である郷社に列せられました。社伝によれば、岡田の地は水少なく干ばつの年が多いため五穀の神である保食神(うけもちのかみ)を祀るとされています。岡田神社は古くから水に恵まれない地にあり、女鳥羽川の水霊信仰を基としたものと思われます。 参道が拝殿の前から東に350mほど続いており、旧善光寺街道と直角に交わっています。ここには一の大鳥居がありますが、指定されたケヤキはこの鳥居の手前にちょうど門柱のように2本生育しています。高さはともに20m程度、目通り直径は2mの巨木です。 (松本市教育委員会HPから)

岡田神社・一の大鳥居
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岡田神社

岡田神社 岡田神社平安時代の記録「延喜式」の神名帳に、「信濃国筑摩郡岡田神社」と記録の残る式内社。654年に建立されたと伝わる。 長い参道を持ち、参道には3つの鳥居が建つ。 参道入口の一ノ鳥居は道路拡張に伴い消滅の危機にあったが、地元の強い要望で中央分離帯のような形態で保存された。 同鳥居東側のケヤキ(樹高20m、幹囲約6m)2本は昭和62年に市天然記念物に指定。

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中部北陸自然歩道とは  多くの人々が、自分の足でゆっくり歩きながら、中部北陸地域のすぐれた風景地を歩くことにより、沿線の豊かな自然環境や自然景観、さらには歴史や文化に触れ、親しむためのみちで、中部北陸地域の各県(群馬県・新潟県・富山県・石川県・福井県・長野県・岐阜県及び滋賀県の8県)を結んで整備された長距離自然歩道です。  中部北陸自然歩道のルートにおいて、一日で歩ける程度のルートを「一日コース」として区分し、それぞれのコースにコース名が設けられています。  長野県においては、全体で34コース(総延長約666Km)に区分されています。 長野県HPから http://www.pref.nagano.lg.jp/shizenhogo/kurashi/shizen/koen/hodo.html

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地蔵菩薩
地蔵菩薩

地蔵菩薩 善光寺参り、その他諸用の通行人の安全祈願、また、亡くなった通行人の供養のため、享保六年(1721年)に、ここ岡田宿の南口に安置された。 現在地元より春のお彼岸にお祭が行われており、供え物をして大数珠を回しながらお念仏を唱え、無病息災や幸せを祈っている。 平成22年7月 岡田町町会・岡田歴史研究会

地蔵菩薩

地蔵菩薩

地蔵菩薩

地蔵菩薩

地蔵菩薩

地蔵菩薩 様

地蔵菩薩

堂内には、地蔵菩薩に他に、 ・大日如来(天保15年6月27日) ・如意輪観音 ・馬頭観音(文政20年12月17日) ・馬頭観音(嘉永20年12月17日) がある。

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本陣・問屋 道祖神のところは宅地で、その先に五葺き二階建ての大きな家がある。これが江戸時代を通じて本陣・問屋を勤めた所家である。堂々とした風格のある建物は、目立っているのですぐ分る。

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本陣・問屋

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岡田宿

岡田宿は刈谷原と松本の間が長いため、松本藩が近在の農家を集めて新設した宿場

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伊深の一里塚 この一里塚も町名が残るだけで塚跡も標識もない。『岡田の里』によると「この一里塚は慶長九年三六O四)北国脇往還(俗称善光寺道)ができた時、郡奉行小宮山織部之丞らによって築かれた」という。 『正保の絵図』には岡田町の北に稲倉道との分岐点があり、その近くに一里塚の印がある。

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伊深町の左側にある石仏群

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道祖神 高さ約一・八メートル。裏に「慶応四年戊辰正月吉日一里塚中」と銘がある。他に小さい道祖神が一体。

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