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北国西脇往還
(北国西街道・善光寺街道)
街道・宿場
北国西脇往還(北国西街道・善光寺街道)は信濃国に存在した脇往還で、長野県のほぼ中央部を南北に19里20町(約80キロ)、12の宿場と3つの峠で結ばれた、古くからの庶民の道・信仰の道です。
洗馬で中山道と分かれた後、松本城下を経て山間地に入り、街道最大の難所である猿ヶ馬場峠を超えて善光寺平の南端(稲荷山宿・桑原宿)に至り、丹波島で北国街道に合流します。中山道と北国街道を連絡し、松本藩や松代藩、善光寺へ向かう道のひとつとして整備され、当時は賑わいを呈しました。
「善光寺道名所図会」があり、松尾芭蕉の「更科紀行」はこの道の紀行文です。この Web は、北国西脇往還の宿場町を中心に、写真により往時の様子を偲ぶとともに、現在の様子を伝えます。
岡田宿(松本市)
岡田宿(長野県松本市)は慶長9(1604)に善光寺西街道(北国西街道)が開削された際、又は正保4年(1647)に周辺の集落を集めて成立した宿場町です。
岡田宿は松本城下に通じ、善光寺西街道(北国西街道)と保福寺通(松本城下と上田城下を結ぶ街道)との分岐点でもあり享保11年(1726)に松本藩の領域が変更され天領との藩境になった事から岡田口番所が設けられ重要視されました。
本陣(兼問屋)や脇本陣が設けられる一方で浅間温泉が近かった事から旅籠は10軒前後と比較的に少ない事が特徴の1つです。
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