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桑原宿(千曲市)

善光寺街道を稲荷山宿から麻績・松本方面へ向かうと、猿ヶ馬場峠(さるがばんばとうげ)への登り口にある集落が桑原宿で、峠を越えた麻績宿と稲荷山宿の間の宿として寛永元年(1624)に伝馬屋敷が設置された宿である。元禄7年(1694)には、屋敷数77 軒のうち、46 軒で伝馬役を務めていた。
松代藩では、桑原宿を他領への出入り口として重要視しており、また松代藩の家臣の継立があった。
幕末の元治元年(1864)には、松代藩士佐久間象山が京都へ行く途中、まず桑原宿の関家で一泊してから上京している。関家には、主屋はじめ長屋門・巡検使門が当時のまま残っている。
ほかにも、通りに面して格子戸やうだつを設けた建物が江戸時代の宿場をしのばせている。
桑原宿に接した、猿ヶ馬場峠登り口の集落が中原地区である。
中原地区には、通りに面して造り酒屋の和田酒店の長屋門、それに続く漆喰塗りの土塀が続き、塀の中には酒蔵や貯蔵所、文庫蔵などの建物群や、「善光寺道名所図会」(天保14 年(1843)出版)に描かれている見事な枝ぶりの赤松も望める。
西部山地の山麓である八幡の郡から中原地区には、「八幡の七清水( 七頭)」と呼ばれる湧水群があり、豊富な湧水が湧き出している。
この湧水は、三みつ峰山みねさんの山腹に湧き出したもので、中原の頭無・郡の頭無・山の神・小滝沢・桜清水・嘉暦・大池の弁財天の7か所の湧水群である。大池の弁財天の湧水は、姨捨の棚田一帯の農業用水として江戸時代から使われている。また、嘉暦・郡の頭無・山の神の湧水は、現在市営水道の水源に利用されている。
こうした湧水群は、西部山地の豊かな自然環境によって涸れることなく、現在も千曲川左岸の山腹斜面での水田耕作や生活用水、酒造りなどに使用されている。
(出典:千曲市の維持及び向上すべき歴史的風致(千曲市))

大正5年(1916)建築の事務所棟はじめ12棟の登録有形文化財の建物があり、現在その建物で酒造りが行われている。
酒蔵は江戸末期の建築で、梁間6間、桁行24間ほどの木造二階建ての土蔵造りの建物であり、洗い場・上槽場・仕込蔵に分けられている。
米蔵から運び込まれた白米が洗い場で洗米され、隣接の釜場で蒸された蒸米は二階の麹室で3日間、酒母室で21日間ねかされた後、一階の仕込蔵で仕込みが行われる。
このほかに江戸末期の建物には、貯蔵蔵・米蔵・粕蔵・西納屋・東土蔵・西土蔵及び、善光寺街道に面して建つ長屋門がある。
その後建てられた建物には、明治前期の文庫蔵、明治40年(1907)の東納屋、大正10年(1921)の南蔵がある。

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